中央競馬の皐月賞・東京優駿(日本ダービー)・菊花賞は「クラシック三冠」と呼ばれ、桜花賞・優駿牝馬(オークス)とともにクラシックレースを構成しています。「皐月」「ダービー」「菊花」という名前はどこから来たのか、そもそも「クラシック」とは何を指すのか。答えの手がかりは、日本の競馬が手本にしたイギリスの競走と、日本の暦や花にあります。
要点
- 「クラシックレース」は、桜花賞・皐月賞・優駿牝馬(オークス)・東京優駿(日本ダービー)・菊花賞の5競走の総称です。いずれも3歳馬が出走できるレースで、イギリスの体系にならって創設されました。
- 皐月賞の「皐月」は、日本の旧暦で5月を指す言葉です。1949年に中山競馬場へ移ったのを機に、この名前になりました。
- 日本ダービーの「ダービー」は、1780年に第12代ダービー伯爵らが創設したイギリスの競走「ダービー」から来ています。正式名称は「東京優駿」です。
- 菊花賞の「菊花」は菊の花のことで、1948年に現在の名前になりました。
- 3競走のうち最初に始まったのは、1932年の東京優駿大競走(日本ダービーの前身)です。菊花賞の前身は1938年、皐月賞の前身は1939年に始まりました。
「クラシック」という呼び方の意味
JRA公式サイトの競馬用語辞典によると、「クラシックレース」とは桜花賞・皐月賞・優駿牝馬(オークス)・東京優駿(日本ダービー)・菊花賞の5競走の総称です。いずれも3歳馬が出走できるレースで、同辞典はこれらが「イギリスの体系にならって創設された」としています。5競走はいずれもGⅠ競走で、GⅠ・GⅡ・GⅢという格付けの仕組みは「グレード制(G1・G2・G3)とは?格付けの基準と決め方を解説」が参考になります。
手本となったイギリスでは、2000ギニー・1000ギニー・ダービー・オークス・セントレジャーの5競走が「クラシック」と呼ばれています。ダービーやオークスを運営する英国ジョッキークラブの公式サイトは、この5競走を英国平地競走の至宝と位置づけ、同じ世代の馬にとって最高の試金石だと紹介しています。
日本の3競走との対応関係は、JRA公式サイトの各レース特設ページが示しています。皐月賞はイギリスの2000ギニーに、菊花賞はセントレジャーに相当し、東京優駿(日本ダービー)はイギリスのダービーに範をとった競走です。
このうち皐月賞・日本ダービー・菊花賞の3競走が「クラシック三冠」です。JRA公式サイトは皐月賞を「クラシック三冠の第一関門」、菊花賞を「クラシック三冠の最終関門」と位置づけていて、3競走をすべて制した馬は「三冠馬」と呼ばれます。
皐月賞の名前の由来と歴史
皐月賞は、最初から「皐月賞」という名前だったわけではありません。JRA公式サイトの皐月賞特設ページによると、始まりは1939年に横浜競馬場で創設された「横濱農林省賞典四歳呼馬」で、当時の距離は1850mでした。太平洋戦争が激しくなると横浜競馬場は海軍に徴用され、1943年からは東京競馬場が開催地になります。
「皐月賞」の名が付いたのは終戦後の1949年です。この年、レースは現在の中山競馬場へ移り、それに合わせて名称も改められました。「皐月」は日本の旧暦で5月を指す言葉で、改称した当初は名前どおり5月に行われていました。その後、4月中旬の開催で定着しています。距離が今と同じ2000mになったのは、改称の翌年、1950年のことです。
日本ダービー(東京優駿)の名前の由来と歴史
日本ダービーの正式名称は「東京優駿」です。JRA公式サイトの日本ダービー特設ページによると、イギリスのダービーにあたる3歳馬の大レースを設けようと、東京競馬倶楽部が1930年4月に「東京優駿大競走編成趣意書」を発表しました。第1回はこの趣意書に沿って1932年4月24日に行われ、舞台は目黒にあった東京競馬場、距離は2400mでした。
開催地が府中の現在の東京競馬場に変わったのは、第3回にあたる1934年です。それ以来、競馬場も2400mという距離も一度も変わっていません。創設当初の名前は「東京優駿大競走」で、現在の「東京優駿(日本ダービー)」という名称になったのは1950年です。
「ダービー」の名は、1780年に第12代ダービー伯爵エドワード・スミス・スタンレーらが創設したイギリスの競走「ダービー」から来ています。同ページによれば、このイギリスのダービーを手本にした競走はいまや世界各国にあり、なかでもヨーロッパの愛ダービー(アイルランド)・仏ダービー(フランス)、アメリカのケンタッキーダービーなどが国際的に重要なレースとされています。
本家イギリスのダービーの名前には、ひとつの言い伝えが残っています。エプソム競馬場でダービーを開催する英国ジョッキークラブの公式サイトによると、創設の詳細は記録に残っていないものの、第12代ダービー伯爵とチャールズ・バンベリー卿がコインを投げて、レース名を「ダービーステークス」にするか「バンベリーステークス」にするかを決めたという話が伝わっています。コイントスに勝ったのはダービー伯爵でしたが、1780年5月4日の第1回を制したのはバンベリー卿の所有馬ダイオメドでした。
菊花賞の名前の由来と歴史
菊花賞の始まりは、1938年12月に京都競馬場で行われた3000mの「京都農林省賞典四歳呼馬」です。全国11の競馬倶楽部が日本競馬会へ統合された1937年の、翌年のことでした。現在の「菊花賞」という名前に変わったのは、国営競馬時代の1948年です。
JRA公式サイトの菊花賞特設ページによると、京都競馬場・3000mという条件は第1回から続いています。例外は、スタンドの改築工事などで阪神競馬場に会場を移した1979年・2021年・2022年の3回です。
名前の「菊花」は菊の花のことです。特設ページは、菊を観賞用にも食用にもなるキク科キク属の多年草として紹介し、花言葉として「高貴」「高尚」を挙げています。
菊花賞は秋に行われる唯一のクラシックレースです。日本ダービーから約5か月の間隔があるため、JRAは、春のクラシックで活躍した馬と夏の間に力を伸ばした馬との対決も、このレースの見どころとしています。
日本のクラシック競走が創設された年表
皐月賞・日本ダービー・菊花賞の前身は、同時に生まれたわけではありません。JRA公式サイトの各レース特設ページをもとに、創設と改称の流れを年順に並べると次のとおりです。
- 1930年:東京競馬倶楽部が「東京優駿大競走編成趣意書」を発表
- 1932年:東京優駿大競走(日本ダービーの前身)が、目黒にあった東京競馬場で始まる(距離2400m)
- 1934年:東京優駿、府中の現東京競馬場に舞台を移す
- 1937年:全国11の競馬倶楽部が日本競馬会に統合される
- 1938年:京都農林省賞典四歳呼馬(菊花賞の前身)が京都競馬場で始まる(距離3000m)
- 1939年:横濱農林省賞典四歳呼馬(皐月賞の前身)が横浜競馬場で始まる(距離1850m)
- 1943年:横浜競馬場の海軍徴用にともない、皐月賞の前身が東京競馬場での開催に移る
- 1948年:京都農林省賞典四歳呼馬が「菊花賞」に改称される
- 1949年:横濱農林省賞典四歳呼馬が中山競馬場に移り、「皐月賞」に改称される
- 1950年:東京優駿大競走が「東京優駿(日本ダービー)」に改称される。皐月賞の距離が2000mになる
もっとも早く始まったのは、1932年の東京優駿大競走です。菊花賞の前身は1938年、皐月賞の前身は1939年に始まっていて、3競走がそろうまでに7年かかりました。
3競走がそろって間もない1941年には、セントライトが3競走をすべて制しました。JRA公式サイトの「歴代三冠馬」のページは、セントライトを日本競馬史上初の三冠馬として紹介し、当時は「三栄冠馬」と書かれていたことにも触れています。
レース名に残る「四歳」と、勝ち馬の馬名の決まり
皐月賞と菊花賞の前身の名前にある「四歳」は、馬齢を数え年で数えていた時代の表記で、いまの3歳にあたります。JRAの競馬用語辞典によると、馬齢の数え方は2001年度に数え年から満年齢へ改められました。新旧の数え方の違いや変更の経緯は、「馬齢の数え方はいつ変わった?「数え年」から「満年齢」への変更を解説」で詳しく取り上げています。
レースの名前とは別に、勝ち馬の名前にも決まりがあります。馬名を登録するジャパン・スタッドブック・インターナショナル(JAIRS)の馬名登録実施基準は、中央競馬のGⅠ競走の勝ち馬や、1983年以前の東京優駿・皐月賞・菊花賞・桜花賞・優駿牝馬の勝ち馬と同じ馬名は登録できないと定めています。馬名のルール全体は、「競走馬の馬名のルールは?文字数・使えない名前・再使用の決まりを解説」にまとめています。
確認できなかったこと
- イギリスの5競走が、いつ、なぜ「クラシック」と呼ばれるようになったのか、その呼び名の起源を示す公式資料は見当たりません。英国の生産者・馬主向け専門誌「The Owner Breeder」に掲載されたトニー・モリス氏のコラム(2019年9月)も、最初にこれらを「クラシック」と呼んだのが誰かは分からないとしています。
- 菊花賞の名称に「菊」が選ばれた具体的な理由(開催時期と菊の季節との関係など)を明記したJRA公式の説明は見当たりません。