オグリキャップの引退後はどうなった?種牡馬時代から最期まで

名馬の軌跡

「オグリキャップは引退したあと、どこでどう過ごしたのか」「最期はいつだったのか」。地方の笠松競馬場から中央へ移って活躍したオグリキャップは、1990年の有馬記念を最後に引退し、種牡馬、そして功労馬として優駿スタリオンステーションで暮らしました。競走生活の歩みと引退後の足取りを、JRAとJBISサーチの公式データ、同ステーションを関連会社に持つ株式会社優駿の発表、当時の関係者の言葉でたどります。

要点

  • 1985年3月27日生まれの牡馬で、毛色は芦毛。笠松でデビューし、地方12戦10勝、中央20戦12勝の通算32戦22勝。中央では有馬記念(2回)、マイルチャンピオンシップ、安田記念とGⅠを4勝しました。
  • 最後のレースは1990年12月23日の有馬記念です。武豊騎手を背に優勝し、現役を終えました。
  • 引退後は種牡馬となり、株式会社優駿によると、18億円でシンジケートが結成されました。産駒は血統登録342頭、そのうち勝ち馬は162頭です。
  • 2007年に種牡馬を引退したあとは、功労馬として優駿スタリオンステーションで過ごし、2010年7月3日、放牧中の事故により25歳で死亡しました。
  • 1991年にJRAの顕彰馬に選ばれています。北海道新冠町の優駿メモリアルパークには、ファンの募金で建てられた等身大の馬像があります。

オグリキャップの基本情報

JRAの「競馬の殿堂」と「3分でわかった気になる名馬」、JBISサーチに載っている基本情報をまとめると、次のとおりです。

項目内容
生年月日1985年3月27日
性別・毛色牡・芦毛
父ダンシングキヤツプ
母(母の父)ホワイトナルビー(シルバーシヤーク)
生産者稲葉不奈男氏(北海道・三石町)
馬主小栗孝一氏 → 佐橋五十雄氏 → 近藤俊典氏
調教師鷲見昌勇(笠松) → 瀬戸口勉(栗東)
現役時期1987〜1990年
通算成績32戦22勝(地方12戦10勝、中央20戦12勝)
獲得賞金912,512,000円(地方分を含む)
主な勝ち鞍有馬記念(2回)、マイルチャンピオンシップ、安田記念

馬主と調教師の移り変わりは、JRAの「3分でわかった気になる名馬」とJRAレーシングビュアーの「未来に語り継ぎたい名馬」に載っています。競馬の殿堂とJBISサーチの馬主欄には、近藤俊典氏の名前だけが出ています。

笠松から中央へ(1987〜1988年)

デビューは1987年5月19日、笠松競馬場の新馬戦でした。地方で12戦10勝を挙げたあと、1988年3月6日のペガサスステークスから中央の瀬戸口勉厩舎で走ります。

JRA競馬の殿堂のオグリキャップのページでは、競馬雑誌『優駿』の記事をデジタルブックで読めます(雑誌の『優駿』は、株式会社優駿とは別のものです)。収められた2012年7月号の連載「偉大なる顕彰馬の蹄跡」(江面弘也・文)によると、中央の馬主資格を持っていなかった小栗孝一氏は、オグリキャップの売却を決めました。このとき佐橋五十雄氏は、「中央で勝ったときには小栗も一緒に口取り写真におさまってもらう約束」をしたといいます。中央競馬の馬主になるための要件は、「馬主になるには?JRA・地方競馬の馬主登録の要件・流れ・費用を解説」が参考になります。

オグリキャップにはクラシックレースへの出走権がなかったことも、同じ記事に書かれています。第1回のクラシック登録の締め切りは笠松時代に中京盃を勝った翌日で、当時はクラシックの追加登録制度もありませんでした。皐月賞・日本ダービー・菊花賞がなぜ「クラシック」と呼ばれるのかは、「皐月賞・日本ダービー・菊花賞の名前の由来とは?「クラシック」という呼び名の意味と創設の歴史を解説」で詳しく読めます。

中央では、最初のレースから重賞を6連勝しました。ペガサスステークス、毎日杯、京都4歳特別、ニュージーランドトロフィー4歳ステークス、高松宮杯、毎日王冠です。レース名の「4歳」は当時の数え年による年齢で、JRAの競馬用語辞典によると、馬齢は2001年度から満年齢に変わりました。今の数え方では3歳にあたります。数え方の違いは「馬齢の数え方はいつ変わった?「数え年」から「満年齢」への変更を解説」で確かめられます。

初めてのGⅠ挑戦だった天皇賞(秋)は、同じ芦毛のタマモクロスに敗れて2着。続くジャパンカップも3着に終わりました。

1988年の有馬記念:タマモクロスとの最後の対戦

GⅠ初勝利は、1988年12月25日の有馬記念です。JRAの紹介によると、タマモクロスはこのレースを最後に引退しており、オグリキャップは1着、タマモクロスは2着でした。

デジタルブックに収められたこのレースの記事で、瀬戸口勉調教師は「オグリキャップは天皇賞とジャパンカップであの馬の後塵を浴びていますから、今回はぜひ一矢報いたかった。」と語っています。このレースでただ一度オグリキャップに騎乗した岡部幸雄騎手は、「オグリキャップについては、僕なりに第三者としてのイメージを持っていました。実際に騎乗してみたら、気性面や手ごたえなどイメージどおりの馬でした。」と振り返りました。

1989年:「平成の三強」と秋の6戦

JRAは、1989年のオグリキャップを、イナリワン、スーパークリークとともに「平成の三強」と呼ばれた馬として紹介しています。この年は秋だけで6戦を走りました。JRA競馬の殿堂の成績表によると、結果は次のとおりです。

日付レース着順勝ち馬(2着馬)
1989年9月17日オールカマー(GⅢ)1着(オールダッシュ)
1989年10月8日毎日王冠(GⅡ)1着(イナリワン)
1989年10月29日天皇賞(秋)(GⅠ)2着スーパークリーク
1989年11月19日マイルチャンピオンシップ(GⅠ)1着(バンブーメモリー)
1989年11月26日ジャパンカップ(GⅠ)2着ホーリックス
1989年12月24日有馬記念(GⅠ)5着イナリワン

右端の欄は、1着だったレースでは()付きで2着馬を、それ以外では勝ち馬を示しています。騎手はいずれも南井克巳騎手です。

JRAによると、マイルチャンピオンシップはバンブーメモリーをハナ差で退けての勝利でした。翌週のジャパンカップでも、勝ったホーリックスにクビ差まで迫っています。

マイルチャンピオンシップを伝える『優駿』の記事で、瀬戸口調教師は「走らん馬で丈夫な馬はいくらでもいるけど、走る馬でこんなに丈夫なのはちょっといない。」と話しています。同じインタビューによると、秋はもともとオールカマーのあと天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念と進む予定で、馬主の意向もあって毎日王冠とマイルチャンピオンシップが加わりました。

1990年:安田記念から引退レースの有馬記念へ

1990年の初戦は、5月13日の安田記念でした。武豊騎手が初めて騎乗したこのレースを、1分32秒4で勝ちました。JRAの紹介によると、レコードタイムでの勝利です。『優駿』の記事で、武豊騎手は「多くのファンの期待を担っている馬ですから、プレッシャーというよりも責任を果たさなければならないという気持ちが大きかったですね。」と語りました。

その後は宝塚記念2着、天皇賞(秋)6着、ジャパンカップ11着と勝てず、JRAはこの時期を「スランプ」と表現しています。

引退レースは12月23日の有馬記念です。JRAによると、ファン投票では1位だったものの、単勝人気は4番手でした。『優駿』の記事によると、ふたたび騎乗することになった武豊騎手は、レース前の連日の取材に「絶好調とはいえないが、この馬の強さを信じて乗るだけです」と言葉少なに答えるだけだったそうです。レースでは直線で先頭に立って優勝し、2着はメジロライアンでした。JRAによると、スタンドからはオグリ・コールが巻き起こりました。

JRAとJBISサーチの表示では、JRA賞は1988年に最優秀3歳牡馬、1989年に特別賞、1990年に年度代表馬と最優秀4歳以上牡馬を受賞しました。

引退後:種牡馬として

株式会社優駿は2010年7月7日付のお知らせで、引退レースの有馬記念に勝ったあと、「当時の内国産種牡馬としては最高となる18億円」でシンジケートが結成され、種牡馬生活を始めたと伝えています。同社の会社紹介にも、関連会社の優駿スタリオンステーションと連携してオグリキャップを導入したとあります。ただ、種牡馬入りした当初の繋養先を明記した公式情報は確認できませんでした。種牡馬という仕組みや繁殖入りまでの流れは「種牡馬・繁殖牝馬とは?2つの違いと繁殖入りまでの流れをわかりやすく解説」で、毎年どれくらいの馬が種牡馬になるのかは「種牡馬になれる馬は何頭?公的データで分かる頭数と、分からない割合」で解説しています。

JBISサーチの「世代・年次別」の集計(中央2026年11月1日現在、地方同月5日現在)によると、種付けをした年は1991年から2006年までです。種付頭数は1991年が65頭、1992年が60頭と、1990年代前半は毎年60頭前後で、1998年には9頭まで減りました。産駒は血統登録342頭、平地競走に出走したのが273頭で、そのうち勝ち馬は162頭です。

同じ集計で、重賞を勝った産駒は1頭です。JBISサーチの「主な産駒」欄によると、1997年生まれの牝馬フルミネートが、1999年12月19日に荒尾競馬場の重賞「サラ系3歳優駿」を勝っています。中央の重賞では、オグリワンが1994年の小倉3歳ステークス(GⅢ)で、アラマサキャップが1995年のクイーンステークス(GⅢ)で、それぞれ2着に入りました。

功労馬としての晩年

2007年に種牡馬を引退したあとも、功労馬として引き続き優駿スタリオンステーションで余生を送ったと、株式会社優駿のお知らせは伝えています。2010年5月1日からは、一般の見学も再開されていました。引退した競走馬がたどる進路や支援の仕組みは、「引退した競走馬はどうなる?主な進路と支援の仕組みを一通り解説」にまとめています。

最期

株式会社優駿の2010年7月7日付の発表によると、優駿スタリオンステーションで繋養されていたオグリキャップ(牡、25歳)は、2010年7月3日、放牧中の事故により死亡しました。事故の詳しい状況は、この発表には書かれていません。

同じ発表は、追悼式「オグリキャップ号 お別れ会」を7月29日に新冠町レ・コード館の町民ホール(北海道新冠郡新冠町)で開くと案内していました。株式会社優駿の2010年8月30日付のお知らせによると、お別れ会は予定どおり7月29日に執り行われました。

顕彰馬と記念施設

JRA顕彰馬

オグリキャップは、1991年にJRAの顕彰馬に選ばれています。JRA競馬の殿堂のページでは、中川一郎氏が描いた肖像画も見られます。

優駿メモリアルパークと優駿記念館

株式会社優駿の公式サイトによると、オグリキャップの死後、全国のファンからの募金で等身大の馬像が建てられました。馬像は、優駿スタリオンステーションの隣接地にある「優駿メモリアルパーク」に置かれています。

パーク内の優駿記念館は入場無料で、有馬記念をはじめとする優勝肩かけや馬服、記念写真、全国のファンから寄せられたメッセージなどを展示しています。案内は次のとおりです。

項目内容
2026年の開館期間3月28日(土)〜11月8日(日)
開館時間午前10時〜午後4時
定休日毎週木曜日
所在地北海道新冠郡新冠町字朝日(優駿メモリアルパーク内)
入場料無料

2026年の開館は11月8日までです。翌シーズンの日程や変更は、訪れる前に株式会社優駿の公式サイトで確かめてください。

まとめ

  • オグリキャップは1985年3月27日生まれ。笠松でデビューし、通算32戦22勝(地方12戦10勝、中央20戦12勝)。1990年の有馬記念に勝って引退しました。
  • 引退後は種牡馬となり、株式会社優駿によると18億円でシンジケートが結成されました。産駒は血統登録342頭、勝ち馬162頭、重賞勝ち馬1頭です。
  • 2007年に種牡馬を引退したあとは、功労馬として優駿スタリオンステーションで過ごし、2010年7月3日に放牧中の事故により25歳で死亡しました。
  • 1991年にJRAの顕彰馬に選ばれました。優駿メモリアルパークには等身大の馬像があり、パーク内の優駿記念館でゆかりの品が展示されています。

数字や案内は更新されることがあります。最新の情報は各公式サイトでご確認ください。

主な情報源:

  • JRA公式サイト(競馬の殿堂 オグリキャップ、同ページのデジタルブック所収の『優駿』2012年7月号「偉大なる顕彰馬の蹄跡」と1988年有馬記念・1989年マイルチャンピオンシップ・1990年安田記念・1990年有馬記念のレース記事、3分でわかった気になる名馬 オグリキャップ、競馬用語辞典「馬齢」)
  • JRAレーシングビュアー(未来に語り継ぎたい名馬 オグリキャップ)
  • JBISサーチ(オグリキャップの基本情報・全競走成績・種牡馬成績・世代・年次別、フルミネートの基本情報・全競走成績)
  • 株式会社優駿 公式サイト(2010年7月7日付「オグリキャップ死亡のお知らせ」、2010年8月30日付のお知らせ、トップページ、会社概要、優駿記念館)

最終確認日: 2026年11月(優駿メモリアルパーク・優駿記念館の案内)

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